
…夫の大好物である。 チョリパンの語源は、そのものズバリ、「チョリソーをはさんだパン」である。
チリでも各種のソーセージがあり、先に書いたチリ風ホットドッグに使われているのはウインナソーセージで、ここで使うのはもっと重い、ロンガニザと呼ばれるソーセージである。 とにかく味が濃いソーセージで、しっかり火を通す必要あり。 ファーストフードの一種ではあるが、その手のこぎれいな店ではやっておらず、チリ系のちょっと汚らしいレストラン、あるいはイベント会場に出ている屋台で食べねばならない。 鉄板かオーブンでじゅうじゅう焼いたやつを、ただホットドックパンにはさむだけなのだが、このニオイを嗅ぐと、どうしても食べずにはいられないらしい。
「シュラスコ」とともに、今回メニューの目玉となったのは「チョリパン」。やわらかいパンの間に、炭火で焼いてパリッとなったチョリソーをレタスと一緒にはさみ、上からサルサソースをかけた「チョリパン」は、食事としてもおつまみとしても最高で、選手たちからも大好評でした。ベルディ
たまたま買った情報誌に麻布十番祭りの記事が載っていたので、一人で行ってみることにした。仕事を無理やり片付け、南北線で会場に到着すると午後9時。一応夜10時までということであったが、屋台は9時20分で閉まるという。人混みを掻き分け、慌ててお目当てのインドカレー(900円)の行列に並び、ゲット。喜んで食べていると、いきなり店員が「もうすぐ閉店だから700円」と言い始めた。インド人がタイムサービスするなっていうの。しかも人が買った直後に。まあ、おいしかったから許す。カレーの後は何を食べようか一瞬迷ったが、縁日と言えばソーセージなので、アルゼンチンのチョリソの行列に並んだ。ここではチョリソは単体では売っておらず、「チョリパン(500円)」というホットドッグのような形で売っていた。これまたおいしかった。どちらも強烈にスパイシーであったので、手に匂いが残り、洗ってもなかなか落ちなかった。左手はカレー、右手はチョリパンのいい香りを放っており、それだけで丼飯が食べられそうであった。と、ここまで書いてきて気付いたが、不浄の手でカレーを食べていたことが今になって判明した。インド人の皆さん、ごめんなさい。
鉄腕DASHという番組でも取り上げられた。
What is Choripan???
いったい、チョリパンなるものは何なのだ?
チョリパンを食べたことがあるものは口をそろえてこう言う「あの匂いが・・・」、
「いや、だからチョリソをねフランスパンに挟んで・・・」、おいおいそれはただのホットドックとどこが違うんだよ。
さっぱりわからない。想像はできる。あの熱々のチョリソをフランスパンに挟んで、チュミチュりソースなんかをかけて頬ばる。確かに美味そうだが、予想がつくのではないか?
食べたものを虜にする、そのなぞを紐解くのに、まずはアルゼンチンの文化からアプローチしよう。
とにもかくにも、アルゼンチンは人口より家畜の数のほうが多いという。なんという国だ・・・。日本は明らかに少ないから、オージーやUSといったブランドの肉が大手を振って街中を牛耳ってる。まさしく牛耳っている。アルゼンチンではそんなことはない、むしろ店頭で売っている肉がkg単位での販売しかしないところがほとんどだ。だから肉を食べることに長けている。そんな人たちが作った日常フードの一つがチョリパンなのだ。
ある人はこうも言う「チョリパンのないサッカー観戦はさびぬきのわさびみたいなもんだよ。」、日本人にとってわさびは何だ?ソウルフードだろう。口に入れた瞬間に広がる芳香、突き抜ける鮮烈さ、それは日本人に生まれ、寿司を愛した者が味わうことができる特権、日本人たる特権、ソウルフードなんだと思う。
アルゼンチンの人々にとって、サッカーはなくてはならないものだ。それは日本の相撲よりも、タイのムエタイよりももっともっと密接なものにさえ感じる。そのサッカーを観にいったら必ず食べるんだよ、チョリパンを。それだけソウルフルで国民的フードってわけだ。
ではでは、その美味さの秘密は何なんだ?アルゼンチンに行って確かめるのが一番だと思う。でも無理だ。ちょっと30時間は飛行機に乗る暇がない。わかった。出そう。チョリパン焼きます。肉の美味さを知った民族が、自信を持ってソウルフードに仕立て上げるチョリパンをBocaCupで。アルゼンチンを体感させようじゃないか、フットサルとチョリパンで。即ちこういうことだ。
告知
各大会会場にてアルゼンチンのソウルフードである「チョリパン」を販売します。
プレーに来たあなたはもちろん、アルゼンチンを体感してください。
観戦に訪れるあなた達も、さび抜きの寿司を食ってていいのかと。是非、是非ご賞味ください。きっとあなたの中をアルゼンチンの風が吹き抜けていきます。そして、困ったことにあなたはチョリパンなしのサッカーは考えられなくなるのです。
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